日も長くなりました

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 蒸し暑い日が続きます。梅雨入り宣言後は雨が少なく、水不足の懸念も出てきました。ここらで一雨欲しいところですね。

 インフルエンザもまだまだ続きそうですが、食中毒や熱射病などにも注意が必要な時期になってきました。あまり神経質にならず、とは思うものの、避けられる危険は避けて元気で過ごしたいものですね。



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梅雨入り

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 6月に入って、5月とはうってかわって曇天の日が増えました。気候が変わると体調も崩しがち。体も夏へ向けて衣替えの最中です。睡眠や食事など基本的な生活習慣に気をつけて、体のケアを心がけたいですね。



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ある、「アハ体験」

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 前々回のブログで「身体の柔軟性」というタイトルでフェルデンクライス法の講習を受けたことを書きました。治療技法として用いる筋弛緩法や自律訓練法などのリラクセーション法を私自身が習得していることもあり、身体の微妙な感覚を得ることや、つながりのある動かし方が意外と上手くできていたようです。もちろん、まだまだ練習が必要ですので、これからも練習を重ねていきたいと思っています。

 ところでこのフェルデンクライス法を経験してから一つ大きい発見というか、喜びを感じることがありました。実は私、20年近く気功と太極拳を練習しています。どちらも身体の微妙な感覚を得ながら柔らかく身体を動かすことが求められますので、フェルデンクライス法と共通するところも多いように感じています。

 それはさておき、その講習会を受けた日の夜、太極拳の練習をするときのことでした。準備運動として行う前屈の動きがあるのですが、その際、脚から腰にかけて今まで感じたことがないような脱力感があり、非常になめらかな前屈ができたのです。

 元々私は非常に身体が堅く、前屈など大の苦手だったのですが、太極拳をやるようになって、徐々に柔らかくはなっていました。それで自分なりに柔軟性を実感してはいたものの、これ以上は無理なんじゃないか、と思っていたところで、もう一段階上の柔らかさを得ることができたのです。

 これは、まだまだ脚や腰に無駄な力が入っていたために、本来の柔軟性が阻害されていたのだと思います。フェルデンクライス法のおかげなのかどうかは正確には分かりませんが、その瞬間の「脱力感」は、いわゆる「アハ体験」といえるような、心地よさを感じることができました。

 腰と脚の脱力ができた、ただこれだけのことなのですが、まだまだ自分の身体の可能性を見いだせたことはとても大きい収穫でした。なにしろ私も年齢がもうすぐ40代にのりますが、30代終わりになって今まで感じたことがなかったような柔軟性を得ることができたというのは少し信じがたいことであります。

 人生の折り返し、ユングは人生の正午と呼び、エリクソンは中年期危機と呼びましたが、私自身がその年齢にさしかかり、何となく不安を抱えることも多い今日この頃です。でも、まだまだこれからですよね?!と、自分自身に言い聞かせるのでした。



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愚痴を言うこと

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 たまったストレスを発散するのに、誰かに愚痴を聞いてもらう、というのはよくあることですね。気心の知れた相手に愚痴をこぼすとなぜか気が晴れたり、少し安心したりするものです。聞き手は家族や友人であるかもしれないし、職場の同僚、上司、後輩であるかもしれません。相手によって少し効果に違いはあるかもしれませんが、気がついたらつい愚痴をこぼしてしまっていた、なんてことは良くあると思います。

 特に、対人関係に関する感情的なストレスは溜めっぱなしにしておくと、時として腰痛や頭痛、肩こりなどの身体の症状として現れやすくなるようです。心のストレス容量には限界があるようで、心にたまっているものはときどき解放して、発散し、一定の空き容量を常にキープしておくことがこころの健康に役立つようです。

 発散の仕方は愚痴を言うことの他に、運動をしたり、リラクセーションを行ったりと色々とあり、人によって異なっていると思いますが、少し行き詰まったときには、今までやったことのない発散法を試してみるとよいかもしれません。

 愚痴るのもその一つですが、くれぐれも愚痴りすぎには注意しましょう。



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身体の柔軟性

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 最近、フェルデンクライス・メソッドの講習を受け、「小さくてやわらかな動き」を体感してきました。わずかな時間の講習でしたが、確かに身体の柔軟性がかなり向上したように思います。心身医学的な面からも、うつや不安障害などの予防法として期待できそうに思いました。

 しなやかな身体としなやかな心、しなやかさは力強さでもあることを忘れないようにしたいと思う今日この頃です。

 



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おしらせ

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 新年度を迎え、二月が過ぎようとしています。早いものですね。新入生や新入社員の方々もそろそろ新しい環境に慣れた頃でしょうか。疲れもたまってくる頃ですが、この二月を振り返って、意欲も新たに夏に向けて再スタートを切っていきましょう!

 広島心理教育研究所では今年度もカウンセリングルームにてご相談をお受けしています。こころと身体に関する様々な問題、悩みについて解決のお手伝いを致します。お気軽にお問い合わせください。



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続・悩み方(正しく悩む)

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 悩んでいるときは、問題に圧倒され、うまく間合いが保てなくなったり、問題の大きさを誤って認識しているとき。大きすぎるような問題でも、いろいろな視点で見てみることで取っかかりが見つかったり、距離をとってみることで全体を俯瞰してみることができ、冷静に考え直してみることもできる。つまり、解決できない問題とは、それを大きすぎて自分には解決不可能だと「錯覚」している状態である。

 錯覚とは本来、物理的な刺激と心理的な知覚の間のギャップのことを言う。本来、人が知覚する・認識するということは、そうしたギャップからは逃れられない。したがって悩みとは客観的に(物理的に)観てみればそれほど大きくはないものが、心理的には過大に知覚されてしまっている「錯覚」に過ぎないのかもしれない。 

 もともと人には問題を解決する能力が備わっているという人間中心主義の考え方をとった上で問題を正しく査定することができるのならば、問題は自然と快方へ向かっていく。悩みを人に話す、紙に書き出す、録音して聴き直すなど、自分の頭からいったん出して、客観的に自分の悩みを眺めてみると良いかもしれない。



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コミュニケーション・スキル

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 ビジネス、その他の職業の世界で、精神を病む人々が増え続けている。ここ数年は自殺者が3万人台をキープしているが、その多くがうつ病などの精神疾患を抱えている。その背景には、競争社会などによって仕事上のストレスが増えているということがあるが、仕事上のストレスにもたくさんのストレッサーがある中、やはり人間関係が大きい要因を占めている。

 実際、カウンセラーとしての経験からも、精神的に破綻する人の多くは何らかの人間関係に破れていることが多い。人間関係とはすなわち、コミュニケーションの問題である。特に新卒者などは、大学というある程度固定された人間関係の中から異質の世界にはいることによって、今まで保っていたコミュニケーション・パターンが崩れてしまい、不適応をきたすケースが多い。多くはその中から新しいパターンを学び、疲れながらも再適応していくことができるが、中にはなかなかなじむことができないで休職、そして退職してしまうものも少なくない。そうした適応できないタイプには、思考の柔軟性不足やメランコリー気質といったもともとの性格的負因が潜んでいることが少なからずあるが、コミュニケーションを円滑に進めるための基本的スキルがそもそも不足しているケースが多い。

 スキルが不足しているというその背景には生育上の問題などいろいろなことが考えられるが、確かなことはスキルというものは学習(訓練)によって身に付いていくということである。自分自身でコミュニケーション・スキルの弱さに気づき、適切に学習(訓練)を行うことができれば、再適応は不可能ではないだろう。

 コミュニケーション・スキルの欠如は、人間関係に拘束されるという状態を生じさせる。コミュニケーション・スキルを学べば、もっと自由になれると思う。



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悩み方

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悩んでいるときは、迷いがあるとき。そして自分に自信が持てなくなっているとき。大いに迷っていいし、無理に自信を持つ必要もないというのに、そこから逃げ出そうとしたり、直面すべき問題を先送りにしたり、「迷うべからず」とばかりにあせったり、言い訳を考えてみたり、悩み方は様々だ。どうしたらいいのかということは、たいていの場合分かっている。しかし、他にもっとよい道はないかと模索する。もっと楽な道はないかと模索する。模索して模索して、一筋の光明を見つけたら、やはりもともとの自分の考えにもどってきただけだ。
 必要なことはそれから目を背けないこと。そして具体的に考えてみること。できる範囲で行動に移してみること。それで悩みが消えるわけではない。ただ、新しい悩み方で悩むことはできるだろう。悩みを解消するために、常に新しい悩みを持ち続けてみることにしよう。



 

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ほめること

 カウンセリングをするときに、クライエントさんを「ほめる」ことが役立つことがあります。SFBT(ソリューション・フォーカスト・ブリーフ・セラピー)では「コンプリメント」と呼ばれ、面接における重要な技法の一つと位置づけられています。ほめることでクライエントさんの動機づけを引き出し、自分自身や自分が置かれている状況に対する肯定的な見方を促進していくことが出来るという考え方ですね。
 行動療法ではいわゆる「社会的強化子」としての機能を持つことから、問題行動の修正や意欲の向上などの行動形成に頻繁に用いられます。教育の現場では、「ほめ7分に、しかり3分」というような表現で(正確ではないかもしれませんが)、子どもをほめることの重要性を説きます。もはや常識ですネ。
 確かに、その通りだと思いますが、以前から考えていたことではありますが、どうも、ほめるということが少し飽和状態なのではないかということを最近考えます。いや、もちろんほめることが悪いという意味では全くなく、当然必要かつ効果的な言葉掛けであるとは思います。ただ、その「ほめる」ことを安易に頻発しすぎてしまうことには少し疑問を感じます。

 (以下、子どもとのかかわりに限定しますが、)
 何というのでしょう、「ほめる」のが子どもにはよいから、とにかく何でもイイから「ほめておけ」というふうに「ほめ言葉」を安売りしすぎる傾向があるような気がしています。まあ、ガミガミネチネチと「叱る」「叱責する」「脅す」ことを安売りするよりははるかによいわけですが。

 スクールカウンセラーとしての保護者・教員向けの講演会では折りに触れてこのことを少し話したこともあります。ほめることは大事だけども、やたら滅多ほめるのではなく、「どのタイミングで」、「どんな言葉で」、「どのように」、「何に対して」ほめるのか、ということを明確にしておいて、状況を考えてほめることが、ほめることが常識になった教育上の次の課題の一つであるように思います。というのは、「ほめる」というのは、大人の側がほめたと自己満足していても仕方がないわけで、子どもの側が、「ほめられた」と感じると同時にそれにともなう「喜び」や「嬉しさ」を得なければ意味がないわけです。

 つまり、単に「ほめる」というのを教育もしくはしつけの上でのお気軽なツールとして使うのもいいですが、より効果を出そうと思えば、その子にあったほめ方を工夫してケース・バイ・ケースでほめ方を変えていくということが大切になってくるだろうということですね。そのためには、その子を当然ですが、よく見て、気にかけて、観察しなければなりません。当然、批判しないで受容的な態度で、良いところを見つけるように・・・ですね。

 子どもも幼いながらも頭の中では色々なことを考えていますから、少なくとも小学校高学年以上にもなれば、ほめて欲しい状況、いちいちほめられるようなことでもない状況というのを区別していると思われます。効果的なほめ方とは、何のためにほめるのかということを親の側が理解した上で、その子にとって、ほめて欲しいことはどんなことなのか、それをまず知り、タイミングを逃さずに適切にほめることでしょうか。(ウソにならないように)

 「ほめる」ことと「ほうび(ほめ言葉)で釣る」ということは、外見上は似ていても、おそらく大人の側の子どもに対する見方が反映されていると思います。似て非なるものだということをあらためて認識しつつ子どもとかかわりたいものです。

 

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